横山裕の家族構成~母親死因と告別式・命日に立ち会ったメンバーについて~生い立ちと弟画像

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今回は横山裕さんに関して、調べてまとめました。

関ジャニ∞のメンバーで知られる横山さんですが、非常に過酷な過去がありました。

そんな横山さんの過去について調べてみました。

 

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横山裕の家族構成は?

まず、横山裕さんのご家族構成から見ていきましょう。

横山さんの家族は全員で5人です

母(美奈子)、父、横山裕=本名(横山侯隆)、弟は二人いて6歳下の『横山勤』さんと8歳下の『横山充』さん。

兄弟とはすごく仲が良いみたいです。

5人家族というのはなかなかに多いですね。

 

横山裕の生い立ちは?

そんな横山裕さんの生い立ちを追っていきましょう。

 

幼少期の生い立ちは?

まず、幼少期の生い立ちから見てみましょう。

横山さんが3歳の時に、両親が離婚。

実の父親とも離れてしまい、全く会うことはなく、母一人子一人の生活が始まったそうです。

そして横山さんが4歳の時に、母親が再婚。

6歳の時に次男が生まれ、8歳の時に三男が生まれたそうです。

また横山さんは、義理の父親から理由もなく棒で叩かれたりし、義父と合わなかった様子。

挙句の果てには、一人だけ母方の祖父母へ預けられることとなり、中学まで過ごしたそうです。

当時は「しつけ」という親もいましたが、それは「虐待」になりますよね。

幼少期から壮絶な生い立ちがあったんですね・・・。

 

中学生時の生い立ちは?

次に中学生時の生い立ちに焦点を当ててみました。

横山さんが中学の時に祖父の体調が悪くなり、その後心臓病で他界。

その後実家へ戻りましたが、またもや義理の父親からの虐待を受けていたそうです。

ですが、母親が横山さんと弟二人を引き取って離婚をしたため、今度は横山さんが中学時代からバイトをして、家計を支えるようになったそうです。

また、高校受験の話もあったそうですが、経済理由から結局高校へは行かずに、建築会社で半年間働いて家計を支えながら、ジャニーズJrの活動をするようになりました。

ジャニーズJrでは食べていけないので、仕事が終わって、ジャニーズのレッスンという忙しい日々を送っていたそうです。

なんと虐待を受けており、家計を支えながらジャニーズのレッスンを受けていたんですね。並大抵の精神力ではこんなことは続かないと思います。

 

中学時代のエピソード

非常に苦しい中学時代のエピソードがありました。

横山さんがジャニーズに入りたいと思ったのでしたが、ジャニーズ事務所の住所が分からず、放置していたところ母親が知らぬ間に投函してくれていて、中学3年生のときオーディションに合格し、事務所入りをしたそうです。

横山さんは進学の意思が無かったが、高校受験が決まっていたみたいです。

でもジャニーさんに「(受験の日に)なにも無かったらハワイに行く?」と誘われて、嘘をつき受験をさぼってハワイへ行ったそうです。

その後建築会社に就職し、作業着でレッスン場に行くと出待ちのファンがざわついたため、駅のトイレで私服に着替え一人私服で通っていたそうです。

ジャニーズJr.としての仕事も忙しくなってきたので、建築会社を半年ほどで退職することになったそうです。

会社の社長から「困ったことがあれば助けになる」と言われたことが、心の支えになったと横山さん自身が語っています。

そして、その後は、日雇いの肉体労働などをしながらジャニーズJr.として働いたみたいです。

また悪質なジャニーズファンが家におしかけてくることを避け、大阪で一人暮らしを始める。

このことにより、実家では弟とあまり長く過ごしていなかったようです。

ジャニーズとしてのルーツは、母親にあったんですね。

ジャニーさんの後押しもかなり心強いですね。

 

祖母の他界。

そんな中、悲しいニュースが横山さんの耳に入ります。

横山さんは、祖母へ十代で無くなった祖父の曲を贈るために作っていたみたいですが、完成に間に合わず祖母は他界されました。

その後、関ジャニ∞のメンバーから花が届いたエピソードなどを含めて完成したみたいです。

間に合わなかったと聞くとさらに悲しみが増してしまいますね。

 

祖母へ送った歌「413man」

祖母が亡くなってから遅れて完成した曲。それが「413man」です。

横山さん自身は、CDを収めただけで披露する意思は無かったみたいなのですが、メンバーからの後押しで、3日間のカウントダウンライブでのみ披露したそうです。

その曲名は「413man」で、横山さんのソロになり『関ジャニ∞の3rdアルバム・PUZZLE』にはいっているみたいです。

また、「413man」の読みは「じいさんまん」で4を「じ」と読むみたいです。

祖父と祖母をかけて合わせた曲ということですね。一回だけのライブ披露ということでファンの間でもレア中のレアな楽曲ですね。

 

母親他界。

そして、畳みかけるように悲しいニュースが続きます。

2010年5月16日に母親が、スーパーに買い物中に、店内で倒れ救急搬送。

病院に到着した時には心配が停止している状態でした。

懸命に治療が施されましたが、同日午前11時51分に脂肪が確認。

病名は虚血性心疾患。50歳という若さで他界されました。

母子家庭に育った横山さんは、青森でのソロコンサート開演4時間前に訃報を聞いたみたいですが、コンサートは予定通り開催したそうです。

事務所側も横山さんに「どうする?」と聞いたみたいですが、横山さんは「大丈夫やから」と言って、楽屋でもコンサート中も泣き崩れそうにもなった。

「迷いはなかった」「僕が笑ってステージに立たないで家に帰ったら、そんなのオカンも、イヤやろうなって」と語っていたそうです。

その後も公演スケジュールを予定通りにこなした横山さん。

すすり泣く客席に「しんみりするなよ」と笑いかける場面もあったみたいです。

また、関ジャニ∞の8周年記念イベントパンフレット内でのインタビューで、当時を振り返り「人生で一番泣いた・・・後にも先にもあんな辛いことはない」と話していました

同時に、葬儀にメンバーが全員が参列したことを「めっちゃくちゃ嬉しかった」「すごく誇れた」と語っていたそうです。

一方メンバーの大倉さんが「横山君が泣いてる姿を初めて見た」と語っており、「これからはオレらが横山君の家族にもならなあかん」と、葬儀の後、丸山さんの家に皆で集まり話しあったとも打ち明けています。

壮絶な過去があったにも関わらず、母親思いの横山さん。関ジャニ∞のメンバーも心の支えになっていたんですね。

 

死因の虚血性心疾患とは?

では母親の疾患についてすこしわかりやすく解説します。

心臓は1日に約10万回も収縮・拡張を繰り返し、全身に血液を送り出すポンプの役割をしています。

この収縮・拡張する心臓の筋肉(心筋)に、酸素や栄養を含む血液を送り込んでいるのが、心臓のまわりを通っている冠動脈という血管です。

虚血性心疾患とは、この冠動脈が動脈硬化などの原因で狭くなったり、閉塞したりして心筋に血液が行かなくなること(心筋虚血)で起こる疾患です。

母親にもストレス等多くの要素があったから、おそらく突発的にこのような症状が出現したんでしょうね。

 

命日・告別式はメンバー全員で参加?

告別式には、なんと関ジャニ∞メンバー全員で参列したそうです。

青山市民会館でのソロコンサート終了後、翌日に青森で予定されていた「関ジャニ∞のジャニ勉」のロケを休んで帰宅し、通夜に参列したという横山さん。

5月18日の告別式には、関ジャニ∞のメンバー全員が参列し、横山裕さんの母親の死を悼んだそうです。

まさしくこれが「絆」呼ばれるものですね。

 

モラルの無いファン達。

ところが心無いファンが起こした事件がありました。

実は、横山さんの母の告別式に、関ジャニ∞のメンバー達が参列するという情報を、どこからか聞きつけた女性ファンたち。

彼らが出てくるのを待ち伏せし、告別式の会場前で騒いでいたらしく、ときおり黄色い声援まで上げていたというのです。

人として全くモラルに欠けた考えられない話ですよね。

しかし、KY女子達は、ただ彼らに会いたい一心で、告別式という悲しい場で黄色い声援を送ってしまったのでしょう。

これには、横山さんもブチ切れてしまい、『何考えてんねん!!』と詰め寄るシーンも…

幸い他のメンバーたちがなだめて何とか場が収まったものの、本当に常識はずれのKY女子たちですね。

この一件もあって、悲しみを拭えないまましばらく時は過ぎていきますが、関ジャニ∞のメンバー達が、横山さんとは家族にならなアカンと言って、葬儀後も丸山さんの家に集まって話し合っていたそうです。

アフターフォローがあったからいいようなものの、私利私欲で告別式にまでかけつけるのは、もはやファンとして失格だと思います。

 

母親を思い作った曲「おにぎし」

祖母と同じように、母親を思い作った曲がありました。

横山さんは仕事を休まずツアーを続けるも、毎公演中に歌っていた母親を想い作った歌「おにぎし」で号泣し、歌えなくなってしまうこともあったそうです。

また、母親への愛は人一倍で、ライブでのMCでは母親ネタは鉄板だったみたいです。

また「オニギシ」という曲は、幼少期の母親との思い出を歌にしたもので、それもまた母親への愛を表現しています。

ソロツアーでお母さんを前にして披露したそうです。

これは母親としては、非常にうれしかったでしょうね。

最高の親孝行だと思います。

 

「おにぎし」の歌詞

そもそもおにぎしってなんでしょうか?

横山さんの小さい時、オニギリって言えずにオニギシって言ってたみたいで、そんな歌詞が出てくる母親に向けた曲だったそうです。

また、エレベーターをエベレーターとも言ってたみたいで、「子供は言葉をかむなあ」と思い出しながら、しょっぱかった母親のオニギリなど自らの体験も交ぜながら歌詞を作られたそうです。

心に残る、思い入れのある曲になったのは間違いないですね。

 

母親の性格は?

母親とはどんな人だったのでしょうか?

母親が生前の時に横山さんは母親の性格を語っていました。

性格は適当だけど心配性で、めちゃくちゃ何回も電話してくるそうです。

ものすごい心配性な母親だったんですね。

 

横山裕の弟は?弟画像はあるの?大学で税理士を目指しているの?

弟の情報もあったので見てみましょう。

横山さんの収入で弟2人を食べさていて、2人とも大学まで通わせていたそうです。

今では、二男はすでに就職して社会人となっていますが、三男は大学(京都産業大学に通っていて、2014年に法政大学会計大学院)と専門学校へ進学し国家資格取得を目指しているようです。

また、ラジオ番組にも弟さんを生出演させたことがあったり、ライブでは映像出演させたこともあるみたいです。

現在も横山さんは弟思いで、お正月には熱愛の噂される彼女と弟2人を連れてお出かけしたとも言われています。

弟さんはそれぞれ別の道を歩んでおり、弟さんを横山さんは愛していることがわかりますね。

残念ながら、画像はないようですね。

 

弟との関係は?名前と写真は?

先ほども少し触れましたが、弟との関係を詳しく見ていきましょう。

横山裕は弟2人のことはとても溺愛しているそうです。

丸山 「休日とか誰と過ごしてんの?」って話になったら、『だいたい弟と・・』っていうのが・・弟思いで良いんですけど、ほぼ弟とのエピソードばっかりなんで、お友達おらんのかな?って。

横山裕 弟めっちゃ可愛いんですよ。弟、大好きなんですよ。

そんな弟が結婚した時には、
僕の中でずっと弟のままで止まってたんですけど、結婚式に参列した時に、『あぁ、1人の男になってたんだな』と思い感動した
と語っています。

弟は横山裕への感謝の気持ちをスピーチし、横山裕は号泣したそうです。

弟が結婚する前には、
弟が結婚したら今までみたいに遊べなくなる
とラジオで話していましたね・・。

ものすごい溺愛ぶりですね。複雑な家庭環境を乗り越えた先にも、また別の「絆」があるのかもしれません。

 

弟・横山勉は記憶喪失?

母親が亡くなった時のショックは、当然弟たちにも降り注ぎます。

横山裕さんの弟が記憶喪失という噂がありますが、これは真実のようです。

横山勤さんは、母親の急死により記憶喪失になったそうです。

病名としては、「解離性健忘症」ではないかと言われ、一部の記憶を失ってしまう病気で、大きなショックを受けると脳にストレスがかかり、嫌な記憶を消すというものです。

弟はおよそ2年の記憶を失い、母親の死を受けれ入れてなかったとされ、そんな弟を支えたのも横山裕さんだったようです。

記憶を取り戻すために、横山さんはいろいろな場所をまわったそうです。

弟への愛情の深さがここでも現れていますね。

 

父親は?

そういえば父親の話があまり出ていませんでした。どんな人なんでしょうか。

横山さんがこれだけ苦労しているのにも関わらず、実の父親が離婚以来会えてないみたいですが、離婚の理由がどうであれ、経済的な援助ぐらいはするのが義務ではないでしょうか・・・。

父親がキムチが好きみたいで、横山さんはキムチの臭いを嗅ぐと父親を思い出すからキムチが嫌いだとか。

また、公の場で『お父さん』ではなく『おっさん』と呼ぶと言う噂があります。

残連ながら人柄については、触れられておらず。しかし、おっさんと呼ぶことからあまりよく思ってない様子ですね。