本田美奈子と小林麻央の死因・死相に隠された共通点~白血病で闘病した病院について

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今回は、アイドル歌手として絶大な人気を誇っていた本田美奈子さんについてご紹介したいと思います。

 

亡くなる前の彼氏や、本田美奈子さんのご家族については以下のリンクからどうぞ。⇩

本田美奈子が亡くなる前の最後の彼氏はフライデーで?父親母親姉妹は?
今回は、本田美奈子さんのご家族、そらから彼氏についてご紹介したいと思います。本田美奈子さんの父親・母親・姉妹はいるの?ご家族について、父、母、妹さんがいるようです。父親は芸能界入りに反対だったが、元々歌手志望だった母親は大賛成だった。3歳年

 

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本田美奈子の死因は白血病。病院での闘病生活について

血液の癌として知られる白血病ですが、彼女の身体に異変が現れたのは2004年末のこと。

この頃から、本田さんは風邪に似た症状を訴えるうようになります。

今にして思えば、これこそが白血病の初期症状だったのです。

異変を感じた本田さんは病院に向かうも、そこで下された診断は非情にも急性骨髄性白血病だったのです。

風邪に似た症状。

これは怖いですよね。

区別が難しいとは。

 

急性骨髄性白血病の詳細について。抗がん剤治療の過程

7割近い人が10日間1クール目の抗がん剤治療で骨髄中の白血病細胞が5%以下になり、一時的によくなった状態である「寛解(かんかい)」に入ります。しかし彼女の場合、1クールの治療で50%も残ってしまった。

2月初旬に2クール目の抗がん剤治療を行いました。
しかし、その結果は18%で寛解に至りませんでした。

この数字は先生方の予想をも裏切るほど悪いもので、家族が呼ばれて「これが最後かもしれない」とまで言われました。

そんなこと本人には言えないし、僕らはどうしていいかわからず、辛い日々でした。

骨髄移植をすべく美奈子に合うドナー(骨髄提供者)探しもはじまりましたが、適合者が見つかるまでには数ヵ月もかかるとわかり、断念。

とても辛い抗がん剤治療を2度も受けたにも関わらず、白血病は悪化の一途をたどっていたようです。病状が予断を許さなかったため、臍帯血移植に踏み切ることになりました。すると、ほどなくして適合する臍帯血が見つかり、美奈子もこれに希望を見出しました。

そして、3月に入ると移植に備えた3クール目の抗がん剤治療が行われることに。3クール目はさらにきつい治療で、高熱が続き、非常にひどいだるさにも悩まされました。また並行して実施した放射線治療での照射は彼女にとって辛い痛みを伴いました。

しかし、美奈子は耐えに耐え、ついに4.8%という寛解に入ったのです。5月12日には臍帯血移植も行われました。臍帯血移植後、状態は一進一退しながらも経過は順調で、7月30日には一時退院できることも決まったのです。

長い闘病生活。

病気自体の辛さもありますが、抗がん剤の副作用とは相当なもの。

それに耐え抜いた本田美奈子さん。

素晴らしいです。

 

自宅へ帰宅。しかし…再発

それから1ヵ月ほど、自宅で穏やかな日々を過ごしました。その間の美奈子は、食欲もあり顔色もよく元気でしたし、週に一度、都内の病院で受ける検査の結果も良好で、僕はこんな状態がいつまでも続けばいいと祈らずにはいられませんでした。

ところが、8月24日に受けたマルク(骨髄穿刺/こつずいせんし)という検査の結果が悪かったため、病院に呼ばれました。そして、染色体の異常が見つかったこと、つまり再発したことが告げられたのです。

9月7日、美奈子は再び緊急入院することになりました。

その後、先生方と治療方針を話し合い、アメリカで開発された新しい抗がん剤を使ってみることになりました。この新薬で効果が出ている人も多いと聞いた美奈子は、再び病気と闘う覚悟をしたようでした。

高熱が続き、口内炎が口中に広がるため、食べるどころか水さえも飲めず、話すこともままならないような状態になりました。
かわいそうで見ているのも辛いほどなのに、それでも美奈子は「ごめんね、ごめんね」と僕らを気遣っていました

10月になると状態がいい日もあり、そんなときは自宅に戻って数日を過ごしました。しかし、元気に見えてもがんは進行し続けていたのです。

数度の入退院を繰り返した後に、肺への合併症を起こしたことから、容態が急変して2015年11月6日に死去されました。

こう見ると、状態が良く回復している場面も見受けられました。

しかし、転移ががんの怖いところ。

特に血液のがんですから、恐ろしいスピードで転移したのでしょう。

ご冥福を祈るばかりです。。。

 

本田美奈子の死相とは?小林麻央との共通点。写真画像で比較

写真画像が本田美奈子が病院にて闘病生活を送っている数少ないものの一枚だ。

闘病生活の疲れからか、やや疲れている印象を受けますが、「死相」が出ている気配など微塵も感じられません。

死相とは個人の主観的な予想の事を言っているので科学的根拠など客観性のあるものではないと思います。

とても可愛らしい姿ですよね。

バンダナにしても、全身をピンクにコーディネートしています。

少しでも病院生活を楽しもうという意気込みが感じられます。

本田美奈子が病院で闘病生活をしていたの写真画像が、去年、小林麻央の例の衝撃写真が公になった時に酷似していると話題になった。

9月に小林麻央が公開した死相が出ていると言われた衝撃の写真画像。

死相というか、死ぬんじゃないかっていう痩せかたですね。

どう見ても、もう無理だと誰もが思っていたことであり、それは市川海老蔵をはじめとする家族でさえも覚悟を決めていたことだった。

小林麻央の顔は浅黒く、目がくぼみ、顔全体に直感で分かるほどに何か悪寒が走る雰囲気が色濃く出ている。

確かに顔が黒ずんでおり、目の下が膨らんでいる状態が似ているのが印象的である。

本田美奈子と小林麻央の奇妙な写真画像のシンクロぶりには何とも言えない戦慄を感じるところだ。

たしかに、小林麻央さんの姿と似ています。

ただ本田美奈子さんの方が顔色が良いように感じました。

小林麻央さん、夏目雅子さん、坂井泉水さん、本田美奈子さん、川島なお美さん。

こうして、若くして亡くなった方々の容貌を思い浮かべてみたときに、とても美しい人ばかりだなあ、ということだ。

それも、ただ単に美しいのではなく、なんというか、透き通るような透明感のある美しさを持っていたり、笑った時にその笑顔が透き通っていて屈託がないような、そんな毒気のないような人ばかりなのだ。

美人薄命といいます。

なぜ残ってほしい方が早くに逝ってしますのか…

これは神様に聞いてみるしかありませんが。

不思議と白血病という共通点が挙げられるのは事実です。

 

事務所社長 高杉敬二さんが語る、最後の本田美奈子について

7日放送のTBS系「ビビット」で2005年11月6日に38歳の若さで亡くなった本田美奈子さんの人生を特集した。

番組には所属事務所の社長の高杉敬二氏が出演し、本田さんをスカウトした時の印象を

「歌がうまいから群を抜いていた。目力が強かったし自分の意志をすごく言う子だった」と振り返った。

病気を告知された時を高杉氏は

「お父さん、お母さん、ボクらも全部呼ばれて、医師団6人が並んで血液のがんですって宣言されました。

お母さんは泣いて、ボクらは唖然としていたんですが、本人は気丈で、頑張るから気にしないでって。お母さんをすごく気にしていたわっていました」

と明かしていた。

入院中に毎日のように見舞っていた高杉氏。

いつも笑顔で元気な姿を見せていた本田さんだったが、ある時、病室を離れ携帯電話を忘れたからと病室に戻ると

「わんわん泣いている姿を見て、こっち見て、あっバレてらーって言って。

この子、本当に我慢して、それが愛おしくて、何とかしてあげたいと思った」

と偲んでいた。

白血病を宣告された本田さんは気丈に振舞いながらも、陰では死の恐怖と闘っていたのです。

体をじわじわと見えないところから蝕む、病気の怖さ。

自分の体が死へと近づく恐怖。

とても耐えられるものではありません。

こんな時でも本田美奈子さん、自身以上に周囲の人に気を使っていたのですね。

 

白血病の原因は何だったの?ミュージカルが原因!?

彼女が白血病に罹った原因についてネット上では様々な憶測が飛び交っており、これまでにも次のような事例が確認されています。

①食事の偏食が原因との説がありますが・・・

②確かに、中国には放射能汚染に関する様々な噂があった。

有名所では夏目雅子や本田美奈子が、中国でロケをした時に被曝して、白血病になったとか、そんなやつである。

③1番の原因は頑張りすぎによる免疫力の低下だったのだと思います。

コネを使って日本国内のミュージカルに出演したのかと思われるかもしれませんが、そんな生半可なものではありません。

何と単身ロンドンへ乗り込み、「ミス・サイゴン」のオーディションを受けにいったのです。
決して「日本のアーティスト枠」といった甘い枠で受けたのではありません。

15000名もの、その他大勢の中の一員として受けたのです。

そして見事にヒロインのキム役を掴みとったのです。

そのために、当たり前ですが相当の訓練・努力をなさっていたのです。

その後も体を酷使されてのではないでしょうか?

いろいろな原因が挙げられています。

実際のところ、医学的にはどのような原因なのでしょうか。

 

実際のところ原因は何なの?白血病の型というのは?

急性骨髄性白血病の中でも極めてまれな予後不良の治療抵抗性の白血病であったという。

白血病は、5年生存率が約25~40% という病気。

血液のガンですから、がんの生存率と同様の厳しさです。

2015年の人口動態統計によると、日本では年間8631人が白血病で亡くなっている。発症率は10万人に約7人といったところ。

美奈子の病気は、急性骨髄性白血病のなかでももっとも治る可能性が低い、発症率200万人に1人といわれる難治性のものでした。

「急性骨髄性白血病(AML)の原因は不明ですが、研究では、放射線や抗がん剤などの化学物質が原因と考えられる症例もあります。」

ちなみに、急性骨髄性白血病にはM0~M7までの8つの”型”が存在しています。

本田さんの白血病がどの型なのかは公表されていませんが、M7であると思われます。

「M7 急性巨核芽球性白血病

白血病細胞は小型で偽足様突起を持つ。

MPO陰性であるが、PPO、CD41、CD61陽性。

予後は極めて不良。」

最新の科学をもってしても、解明されていないことは多いです。

そのうちの一つが癌。

結局のところ、遺伝にしろ、後天的なものにしろ、原因ははっきりとはされていないのが現状です。

 

闘病生活を送っていた病院は?葬儀・通夜・告別式と朝霞市のお墓について

本田美奈子が闘病生活を送っていた病院は順天堂病院であり、その最後は国立がんセンターであったということも判明している。

出生地は東京都葛飾区ですが、幼少期に埼玉県朝霞市に越してからはほとんど朝霞市で暮らしたそうです。

本田の遺志により朝霞市で行われた葬儀・通夜にはファン・関係者合わせて2700人、告別式には3700人が参列した。

彼女の公式ファンクラブは多数の要望により没後も存続することになった。

※お墓をお参りしたい方は、朝霞市の広称寺墓苑へ。住所は朝霞市溝沼1257で安らかに眠っている。。。

テレビの訃報では「アメイジング・グレイス」を歌うライブ映像が繰り返し流された。

また2006年(平成18年)7月から1年間公共広告機構(現:ACジャパン)の骨髄バンク支援キャンペーンに起用され、テレビ、ラジオのコマーシャルでは入院中に病室でアカペラで歌った「アメイジング・グレイス」が流された。

本田は入院中、他の入院患者とのふれ合いやファンや仕事仲間からの応援メッセージによって励まされていた。

辛い治療に泣き叫ぶ子どもの声を聞いて、

「ボス(事務所社長 高杉敬二さん)聞いて。小さな子どもたちが、私と同じ闘いをしているのよ・・・」

と心を痛めていました。

そして自らが病気を克服し再び元気な姿でステージに立つことが同じように難病に苦しむ人の希望になると考え、亡くなる半月ほど前の10月19日に難病患者を支援するための活動として“LIVE FOR LIFE”を立ち上げた。

彼女の遺志は遺族や友人、関係者によって受け継がれ、現在はNPO法人として運営されている。

この“LIVE FOR LIFE”の協賛により本田の追悼イベントが各地で開催されている。

このように現在でも、本田美奈子さんの意思は継がれています。

本田美奈子さんの意思を無駄にしないために、わたしたちに何ができるか。

考えてみるのも良いかもしれません…

歌手
童まち