「35億」という決め台詞で知られるブルゾンちえみさんは、2017年1月1日放送の「ぐるナイ!おもしろ荘 若手にチャンスを頂戴今年も誰か売れてSP」(日本テレビ系)で見事優勝したことをきっかけにブレイクしました。
メイクは世界的なファッションデザイナーのコシノジュンコさんをリスペクトしてのもので、それで恋愛下手な女性を居丈高な態度でアドバイスするキャリアウーマンなどのネタが特に同性にウケています。
そんなブルゾンちえみさんの実家や学歴、両親のことなど調べてみました。
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ブルゾンちえみの実家の住所はどこなの?
ブルゾンちえみさんの実家は岡山県岡山市で、実家の住所の詳細は分かりませんでした。
ただ、岡山市郊外のようです。
『女性自身』がブルゾンちえみさんの故郷を訪ねています。
彗星のように現れた彼女は、いったい何者なのか。
そこで本誌は彼女の原点を追うべく、故郷の岡山県へと飛んだ――。
岡山駅から電車に乗ってしばらくすると、人気は減り山や田畑が広がってくる。
そんな郊外ののどかな町で、ブルゾンは育った。
そこで、ブルゾンちえみさんが中学生の時のエピソードを同級生が語っています。
「つねにクラスの盛り上げ役で、いつも面白いことを言っていました。小学校時代には同級生とお笑いコンビを組んでいたことも。女の子で周囲を笑わせる子なんて他にいなかったので、目立っていました」
そう語るのは、小中学校時代の同級生。
中学時代は陸上に打ち込んでいたというブルゾン、当時は髪形もボーイッシュで今と違って痩せていたという。
だが持ち前のキャラもあって、男子からも慕われていたとのこと。やはり“モテ女”の芸風と同じく、実生活でもモテていたのだろうか。
中学校時代の同級生が語る。
「私が知っている限りでは、3年間で3人と付き合っていました。まわりの女子と比べても多いほうだったと思います。でも交際はどれも長く続かなかった。一番長く続いた人でも2~3カ月ほど。あとの2人とは一週間ももたずに一瞬で破局していました」
ブルゾンちえみさんは小学生の時にはお笑いコンビを組んでクラスを盛り上げていました。
それと、モテたようです。
とはいえ、どれも長続きしなかったそうで、それはブルゾンちえみさんの理想が高く、付き合った男の子がブルゾンちえみさんの理想とは違ったためのように思います。
また、ブルゾンちえみさんは陸上に打ち込んでいて痩せていたそうです。
この頃にはすでに現在のブルゾンちえみさんの片鱗が垣間見えていたのでしょうか。
“モテ女“の芸風は実体験によるものだったのです。
ブルゾンちえみの実家は岡山市の郊外!
前述の通り、ブルゾンちえみさんの実家は岡山県岡山市の郊外です。
そんなブルゾンちえみさんは動物好きだったようです。
「彼女は動物が大好き。猫を飼っていましたが、道端でも犬や猫がいるとすぐ近づいて撫でてあげていました。
小学校の卒業アルバムでも将来の夢の欄に『動物を助ける人』と書いたり、尊敬する人の欄に“生類憐みの令”で有名な『徳川綱吉』と書いたりしていたほど。
ムツゴロウさんのようなコでしたね」
これはかなりのものですね。
動物好きに悪い人はいません。
ブルゾンちえみさんは居丈高に決め台詞を言うという芸風ですが、根はやさしいのでしょう。
だから、ブルゾンちえみさんの決め台詞は耳に残って離れないのだと思います。
ブルゾンちえみの実家は実は愛知県という情報も!
ブルゾンちえみさんの実家が愛知という情報がありますが、これはブルゾンちえみさんがネタでプロレスラーのオカダ・カズチカさんをやった時に「実家は愛知!」といったことによります。
これが、いつの間にかブルゾンちえみさんの実家が愛知ということにすり替わって、独り歩きを始めたからです。
ブルゾンちえみさんの実家は愛知ではなく岡山です。
ブルゾンちえみの本名と出身高校はどこなの?
ブルゾンちえみさんの本名は、藤原史織と言います。
高校は、岡山県の大安寺高校です。
大安寺高校は、1963年創立の公立の進学校でしたが、2012年に中高を区別せずに一貫した6年制の教育を行う現在の「大安寺中等教育学校」に再編されました。
ブルゾンちえみさんは高校でも陸上をしていて、練習で1万m走っていたそうです。
2008年岡山総体に3000mに出場し、7位の成績を残しています。
また、ブルゾンちえみさんは大学受験で大きな挫折を味わっています。
ブルゾンちえみさんは常に成績は学年トップだったのですが、第一志望の大学に面接で落ちたのです。
その時にブルゾンちえみさんを励ましたのが、恩師の坪井恭紀先生で、坪井恭紀先生は陸上部の監督でもありました。
その時、坪井恭紀先生はブルゾンちえみさんにこう言って励ましました。
「お前の魅力をわからない学校なんか行く必要ない!
お前の良さをわかってくれる人はたくさんいるから落ち込むな!」
2017年6月24日、地元岡山でライヴのあとブルゾンちえみさんは恩師の坪井恭紀先生に久しぶりに会い、感謝の想いを伝えました。
先生の前でネタをやるのは感慨深かった!しかし楽しい会話のあと坪井恭紀先生が・・・
「今日は娘を連れてきたから写真を撮ってくれないか?」
娘は、2年前に大きな病気「悪性リンパ腫」を患い、抗がん剤治療を終え、自宅療養中でした。
ブルゾンちえみさんに会わせて、娘を勇気づけたかったのです。
お笑いが好きだから、本人と会えばいい方向に回復すると思って。
ブルゾンちえみさんは2017年の24時間テレビ(日本テレビ系)の24時間マラソンの走者でしたが、恩師の言葉を噛みしめて走っていたようです。
『先生の言う通りだった。
いまこんなにたくさんの人が応援してくれている
諦めないでよかった
先生の娘もがんを乗り越えようと頑張っている
だから 走りたい 挑戦したい
こんな私でもできることがある 先生が教えてくれた』
ブルゾンちえみさんは無事に完走しました。
ブルゾンちえみの父親はどんな人?
ブルゾンちえみさんの本名は藤原史織さんですが、父親は地元・岡山で小学校の教員をしています。
父親の本名は分かりませんでした。
ちなみに父親は、陸上の指導者でもあり、ブルゾンちえみさんは父親の影響で陸上を中学・高校と陸上をしていました。
ブルゾンちえみさんは長距離走をのべ10年間していたことになり、中学生の頃は腹筋が割れていたといいます。
ところが、大学に入学すると陸上はしなかったので、島根大学教育学部入学後2年で現在に近い体形になってしまったとのことです。
ブルゾンちえみの母親の職業は?
ブルゾンちえみさんの本名は藤原史織ですが、母親の本名は分かりませんでした。
ブルゾンちえみさんの母親も小学校の教員で出身は、岡山県津山市出身です。
母親は、大の猫好きで次々と猫を拾ってきてしまい、実家には6匹の猫がいるそうです。
ブルゾンちえみさんの動物好きは母親の影響大だと思います。
ブルゾンちえみさんは両親と同じ教師になるべく教育学部に入学したのですが、3年で中退してしまいます。
その後、岡山の実家でしばらく過ごした後、大阪の音楽の専門学校に入学します。
しかし、それもつかの間、友人と一緒に東京に上京します。
この頃はブルゾンちえみさんは自分の進路に悩んでいたようですね。
上京したブルゾンちえみさんは、ワタナベエンターテインメントが運営母体のワタナベエンターテインメントカレッジに入学します。
そこでも音楽をやりたかったようですが、ブルゾンちえみさんにはお笑いが向いていると言われてお笑い芸人を目指すようになります。
そして、2015年にワタナベエンターテインメントカレッジを無事卒業します。
つまり、ブルゾンちえみさんは小学生の頃、同級生とお笑いコンビを組んで皆を笑わせていましたが、それ以降は別段お笑いを目指すことなく、教師を目指していたのですが、島根大学3年生の時にペットのハムスターが死んでしまい、「ああもうこれは辞め時だ」との理由で中退してしまいます。
その後、音楽を生業にしていこうとしますが、結局、お笑い芸人を目指すことになります。
ブルゾンちえみさんは本格的にお笑い芸人を目指そうとしてからまだそれほど年月が経っていないのです。
それでもブレイクしたのはブルゾンちえみさんに笑いのセンスがあったからに違いありません。